スミレの訓練を見ながら、屋敷の縁側で日に日に暖かくなってきた日差しを楽しむ。
もう三月。今日にも桜と市松は帰ってくるだろう。
そこへ、スミレの嬉しそうな声が聞こえた。
「おじい様、見て下さい。ほら、そこの木に…」
そう言ってこちらを見たスミレの顔色がさっと変わる。
どうしたのだろう。その木になにがあるんだい?
立ち上がろうとして、足元がおぼつかないのに気づく。
部屋で茶の用意をしていたイツカが、はっとこちらへかけよってくる。
ばたりとそのまま庭に倒れてしまった。
倒れながら、スミレが木に見つけたものがなんだったのか。その答えがふっと頭に浮かんできた。
目を覚ますと、茶の間に寝かされている。
さきほどイツカが用意していたお茶の準備は片付けられ、
かわりに涙でくしゃくしゃの顔の市松と、相変わらず何を考えているのかわからない桜の顔が私の顔をのぞきこんでいる。
「イツカ、障子をあけてくれないか。」
そう頼むと、イツカは黙って庭へ続く障子をあけてくれた。
ああ、やっぱり。
「桜、見えるか?」
「何がですか、父上。」
問いかけると、思いのほかかすれた桜の声が帰ってきた。
どうやら何を考えているのかわからない顔だと思っていた表情は、ぐっと何かをこらえていたからだったらしい。
「ほら、あの木の上。」
そこには、早咲きの桜が一房だけ、咲いていた。
「一年前の4月に、お前とはじめて出陣した時、庭はあの花で一杯だった。」
「はい、私の名前の花だと、教えていただきました。」
「あと一ヶ月もすれば、また満開だ。見えるか、桜。」
「…はい、はい!見えます、父上!満開の桜が…見えます。」
「良かった…。また、お前と、あの優しい花を見たいって、そうあの時、思ったんだ。」
そういうと、桜の代わりに市松がまた声を上げてしゃくりあげる。
いつもなら、桜に「泣いたら涙が勿体無いでしょう、男なんだから!」とよくわからない叱責をされているところだが、今日は桜も、声を出さないだけですでに頬はぬれている。
市松は叱られることを免れたらしい。
「スミレ。」
「はい、おじい様。」
よぶと、素直なスミレはさっと横へやってきた。
「この二ヶ月、よくがんばったね。今日からお前が私のかわりに、この家の当主だ。桜と市松は突拍子も無いことをするから、苦労するかもしれないけれど、お前なら大丈夫。」
そういうと、スミレは驚きを隠しもせず、目を丸くする。
「でもおじい様、私はまだ戦場に出たこともありません。」
「私が当主になった時だって、そうだった。大丈夫。桜と市松がちゃんと手伝ってくれる。 桜、市松、たのんだよ。」
「はい、はい父上。」
さっきまで言葉にもならない泣き声しか出していなかった市松が、涙声ながら、しっかりと声をきかせてくれた。
桜は無言でうなづいている。
その二人の姿を見比べてから、スミレはきっとこちらを見据えて、珍しく強い口調でこう言った。
「おじい様、私は、おじい様も手伝ってくれなければ、嫌です。」
「スミレ。」
スミレのはじめてのわがままに、桜がたしなめる。
しかしいつもは素直に従うスミレが、今日はひかなかった。
「いいえ、母上。私は、おじい様も一緒でなければ、嫌です。おじい様、だから、私におじい様のお名前をください。」
「私の名前を?お前は女の子なのに。」
「男でも女でも、関係ありません。おじい様のお名前をいただければ、きっと私、頑張れます。だから…」
だから、名前をください。
そう言ったようだが、最後のほうは涙声でよく聞こえなかった。
優しげで、ふんわりとした子だと思っていたスミレに、こんな一面があるのかと、最後に知れて得をした気分だ。
「よし、わかった。私の名も、今日からお前のものだ。」
スミレは私の答えをきいて、礼も言わずに私の布団につっぷして泣いた。
重い。
たった二ヶ月なのに、こんなに大きくなっていたんだな、
そんなことを考えていた。
[3回]
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